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英国と米国の伝統をつなぐユーフォニアム界のサラブレッド、デイヴィッド・チャイルズ
祖父の代からのユーフォニアム一家に生まれ、早くからソロで活躍。2018年には英国人ながらブライアン・ボーマン氏の後任として米国ノース・テキサス大学の教授に就任し、話題を呼んだばかり。英国と米国を股にかけるデイヴィッド・チャイルズ氏は、両国に根強くあった楽器の垣根までも取り払ってしまった!
(インタビューと構成:佐藤拓、通訳:久野理恵子)
デイヴィッドさんの父ロバートと叔父ニコラス両氏による「チャイルズ兄弟」は、日本でもシニア世代のユーフォニアムのスターでした。
チャイルズ(敬称略) 息子の私にとってもスターでした(笑)。叔父と父は〈ベッソン〉の仕事で1980~90年代に日本各地をツアーして回り、土産話で日本がどんなに素敵な国かを話してくれたものです。
祖父のジョン・チャイルズ氏もユーフォニアム奏者なんですね。
チャイルズ ええ。二人の息子、ニコラスとロバートにユーフォニアムを教えたのが彼。さらにロバートが私にユーフォニアムを教え、と3代続いています。優れた音楽家を父に持つ私の母もコルネットを演奏し、私の妹もコルネットを吹きます。従兄弟たちも全員が金管楽器を演奏する。私も楽器を吹くのは当たり前だと思ってました。私がまだ1歳のころ、家族は「チャイルズ・ファミリー」としてテレビに出たこともあるんです。
何歳からお父さんのレッスンを?
チャイルズ 3歳でした。ユーフォニアムはさすがに大きすぎたのでコルネットから始め、2~3年後にユーフォニアムを手にしました。
上達は早かった?
チャイルズ 習い事の感覚は皆無で、オモチャと同じ。両親もそう仕向けてくれたので何時間でも遊んでいられた。そのうちどんどん吹けるようになって。
周りにお手本は事欠かなかったわけですね。
チャイルズ 父が毎日のように家で練習していたし、父の友人たちの音も身近に聴いてましたからね。父の本格的なレッスンが始まったのは11歳ごろ。音やテクニックをもっと磨かないといけないと考え始めましたが、それすらもチャレンジとして楽しめたことに変わりありません。
もう一つ大きかったのは、小さい頃からブラスバンドの中で育った経験です。最初は3番ユーフォニアムで最年少メンバー。まわり全員が先生みたいなもの。そのうち2番奏者になり、15歳の時には父が指揮する町のバンドで初めてソロを吹きました。その1年後、ブリガース・アンド・ラストリック・ブラスバンドという有名バンドに最年少ユーフォニアム奏者として入団し、父のいないバンドでのこの経験が後のステップアップにつながりました。
お父さん以外の先生にユーフォニアムのレッスンを受けたことは?
チャイルズ 私にとっては父が唯一の先生です。マンチェスターのロイヤル・ノーザンカレッジで勉強した時も、教授は父。その後、カーディフのロイヤル・ウェールズカレッジの修士課程に進みましたが、同校たった一人のユーフォニア学生になった私に学校が付けてくれた先生も、父(笑)。もちろん、音楽面ではピアニストやヴァイオリニストなど大勢の音楽家たちからも影響を受けています。
お父さんや叔父さんとは違う「自分の音」を模索したようなことはあったのですか?
チャイルズ 最初の頃は音を意識したことはあまりなかったのですが、そのうちに自分の音と向き合うようになると、まずは楽器(ベッソン)から一番良い音を引き出したいと務めるようになります。この時に気づいたのは、「自分の音は自分のDNAそのものだ」ということでした。憧れていた誰かの音と同じ音で自分の人生を生きるのは不可能だし、みんなが似た音を出していたら世界はどんなにつまらないことか。良い音……つまりストレスのないオープンな音ではあるべきですが、同時に「自分の音」であるべきです。世の中には多様な音があることを受け入れると、もっと楽に自分の音や音楽を磨いていけます。
2つのスタイルを選択できる“ソヴリン BE969”
その「多様な音」に関して、ユーフォニアム界には「クリアでフォーカスされた音」と、ベルベットのように「柔らかくふくよかな音」に大別される二つの流れがあるように思います。
チャイルズ そうした二つの流れがあるのは事実です。クリアでフォーカスされたサウンドはアメリカ的。一方、歌うようなカンタービレ・サウンドを重視するのはブリティッシュ。この二つは極めて乖離した流れと言ってよい。アメリカにはウインドオーケストラの伝統があり、ユーフォニアムはそこで、トロンボーンやテューバと同じセクションの中で音が溶け合うクリアなサウンドが求められます。一方、英国ではブラスバンドの伝統の中で、バリトンやテナーホルンなど他の円錐管の楽器と一緒に歌うような音が必要とされる。ただ、21世紀に生きる我々は、こうした二つのスタイルを吹き分けることが出来ないといけないと私は思います。
楽器も変化して来ましたか? お祖父さんの時代の〈ベッソン〉と今の時代の〈ベッソン〉とではかなり違うのでは?
チャイルズ 祖父が吹いていた〈ベッソン〉は今よりもボアがかなり小さいミディアム・シャンクの楽器でした。80~90年代になってボアが少し大きくなり、2000年に出た“プレスティージュ”ではさらに大きくなりと、ボアは拡大しています。現在のベッソンはすべてラージシャンクの楽器です。
そんな中で、私が監修して今回新しく発売された〈ベッソン〉“ソヴリン BE969”というモデルは、マウスピース・レシーバーを交換してミディアムやスモール・シャンクに切り替えられるユニークなモデルです。
一つの楽器でラージからスモールまでのシャンクを切り替えられる?
チャイルズ ええ。ラージ・シャンクのレシーバーを付ければブリティッシュ・スタイルで吹くことができ、ミディアム・シャンクに付け替えればコンパクトでフォーカスされた、よりシンフォニックな音で吹ける。先ほど述べた二つの流れに1本の楽器で対応できるわけです。これは新しいアイデアで、〈ベッソン〉でこうした多様性を実現したモデルは今までなかった。演奏者に選択肢を与え、カスタマイズできる点が非常にユニークですね。
レシーバーが6種類(写真)あるのはなぜ?
チャイルズ ラージボア、ミディアムボア、スモールボアの3種類に分かれ、それぞれにリードパイプとのギャップが異なるものが用意されています。ラージボア用に3種類、ミディアムボア用に2種類、スモールボア用は使う人が限られるので1種類、合計6種類。このギャップは楽器の抵抗感に大きく影響し、自分に合った抵抗感を選べるのも大きなメリットです。ちなみに、私はラージボア用で2ミリのギャップのものを使っています。
ベルの大きさは?
チャイルズ 11・5インチ。“プレスティージュ”と従来の“ソヴリン”それぞれに11インチと12インチがあるので、その中間。
リードパイプの角度が“プレスティージュ”と“ソヴリン”では違いますが、“ソヴリン BE969”は?
チャイルズ 口に当たる角度はストレートで、“プレスティージュ”に近い。楽器を真っ直ぐ正面に構える方が私は好きなんですよ。
“ソヴリン”と“プレスティージュ”とでは高音域や低音域の出しやすさで違いを感じる人もいますね。“ソヴリン BE969”はどうなのですか。
チャイルズ 音域の問題を楽器に頼らないよう学生には教えていますけど、あえてその質問に答えると、高音域は確かにミディアムボアの方が出しやすく、そのぶん低音域はやや難しく感じるかも知れません。しかしミディアムボアだと、上も下もクリアな音で吹きやすくはあると思います。もちろんたくさん練習した上での話(笑)。
いろんな楽器で「伝統回帰」をうたうニューモデルが登場していますが、“ソヴリン BE969”にも同じことが言えるでしょうか。
チャイルズ この楽器で私は、〈ベッソン〉の伝統に一度立ち返ってみようと考えました。100年以上の歴史を持ち、イノベーションを繰り返してきた〈ベッソン〉のヘリテージからインスピレーションをもらい、未来につなげる良い楽器を作ろうと。
ただし“ソヴリン BE969”は、今ある〈ベッソン〉の「改良モデル」では決してありません。私は11歳から“ソヴリン BE968”を、15歳頃から“ソヴリン BE967”を、そして今にいたる24年間は“プレスティージュ BE2052”を吹いて来ましたが、どの楽器も素晴らしく、それぞれに個性があります。“ソヴリン BE969”はそれとは別に、プレイヤーの好みやスタイルに合わせてカスタマイゼーションが可能で、より多くのチャンスやオプションを提供するモデルだということです。
ボーマン博士が築いた伝統は変えたくない
デイヴィッドさんは英国人であるにもかかわらず、アメリカのノーステキサス大学でブライアン・ボーマン博士の後任になられました。ボーマン氏とは昔から交流があったのですか?
チャイルズ 以前からの親しい友人で、尊敬するユーフォニアム奏者でもありました。私の父とも昔から親しく、氏の名前は私も早くから知っていました。
ボーマン氏がミディアム・シャンクの楽器を使っていることはよく知られています。
チャイルズ アメリカでは氏がミディアム・シャンクの伝統を作ったと言っても過言ではありません。何しろ米国ユーフォニアム界のゴッドファーザー的な存在なのですから。アメリカのプロ奏者の大半がミディアム・シャンクの楽器を使っており、私はアメリカで教えていてその伝統を変えたいとは思いません。
ただ、彼らがラージ・シャンクの〈ベッソン〉を吹くのが難しいと感じているその現実を見て、私は“ソヴリン BE969”開発のアイデアを思いついたんです。「“ソヴリン BE969”によって彼らにも〈ベッソン〉の扉を開くことが出来る」と。ボーマン博士に敬意を払いつつ、アメリカの人たちにも別のオプション……彼らにとっても魅力的に感じる〈ベッソン〉の響きを手にできるオプションを与えたかった。実際、私の音を聴いて従来の〈ベッソン〉を試そうとした人は何人もいましたが、やはりラージ・シャンクの壁は厚かったですね。
アメリカ人だけでなく、ミディアム・シャンクのユーフォニアムを吹くすべての人たちにも同じことが言えますね。その意味では〈ベッソン〉の世界戦略的なモデルと言える?
チャイルズ 時が教えてくれるでしょう。今の若い人たちは、スマートフォンでも何でも、自分用にカスタマイズできるものを求めている。それがマーケットの流れで、ユーフォニアムでも“ソヴリン BE969”の注目度は今後いっそう増すと思います。とにかく、〈ベッソン〉以外の楽器を吹いて来た人たちにとって、マウスピースを変えずに違和感なく吹ける〈ベッソン〉が手に入る魅力はとても大きいはずですよ。
余談になりますが、アメリカのユーフォニアムの学生たちがめざす卒業後の進路はどのようなものですか。
チャイルズ 最も多いのは、学校のバンドディレクターを目指す人たち。就職のチャンスも多い。演奏で食べて行こうと思う一部の学生は、レベルの高い軍楽隊に入るために努力します。もう一つは、高等課程に進学し、大学で教える道をめざす人たち。大体この3つのパターンでしょうか。
ユーフォニアムと一緒にトロンボーンも学ぶ人たちも多い?
チャイルズ いえ、テューバを一緒に勉強する方が今は一般的です。アメリカの大学では、教える側にもユーフォニアムとテューバを一緒に教えられる能力が求められ、契約にもきちんと明記されています。私がいるノーステキサス大学は、ユーフォニアムだけの教授を受け入れているアメリカで唯一の大学です。個人的には、ヨーロッパで一般的なように、ユーフォニアムとトロンボーンを兼任した方が、マウスピースもピッチも共通するので合理的だと思うのですが、アメリカではテューバと兼任する方が普通ですね。
美しい響きをもっと大切に……
最後に、ソロ活動も盛んに行われている中で、いま力を入れていらっしゃることがあれば教えて下さい。
チャイルズ 私が20年以上、ユーフォニアムのレパートリーを拡げるために様々な努力を重ねて来たのは、トロンボーン・ソロの世界を切り拓いたクリスチャン・リンドバーグに言われた一言がきっかけでした。彼は若かった私にこう言いました……「ソロイストになりたければ、君の楽器にふさわしい服を自分で仕立てないといけないよ」。以来、数多くの作曲家にユーフォニアムのための作品を委嘱してきました。来年5月には英国の有名な作曲家ジェイムズ・マクミランに委嘱したコンチェルトをBBC交響楽団と初演する予定で、その後、ダラス交響楽団やシンガポール交響楽団とも同じ曲を共演します。カール・ジェンキンスやエドワード・グレグソンの協奏曲も私が委嘱しました。
リンドバーグもユーフォニアム協奏曲を書いていますね。
チャイルズ あれは私の委嘱ではありませんが、オーケストラ・バージョンを彼の指揮で私が初演しました。ユーフォニアムがあまり認知されていない国や地域で演奏するときなど、様々なレパートリーを持っていることは特に重要ですし、私自身もオーケストラやウインドバンド、ブラスバンド、ピアノなど様々な人たちと共演するのは大きな刺激になります。
新しい録音などは?
チャイルズ 来年前半にナクソスから2枚のアルバムが出ます。1枚はピアノとの共演で現代もの。もう1枚はブラック・ダイク・バンドとの共演でトラディショナルなアルバム。このアルバムでは、父やボーマン氏が十八番とした曲を新しい編曲でお届けします。
ユーフォニアムのためにさらに「新しい服」を着るとしたら、どんな服を?
チャイルズ ユーフォニアムの語源はギリシャ語で「美しい響き」という意味です。この楽器の美しい響きを大切にし、シンプルに歌うような音楽の魅力を皆さんにもっと伝えたい。若い頃はテクニックを誇示するトリッキーな演奏に挑戦しましたが、今はもっとリリカルで、美しく流れるようなラインを描くことができるユーフォニアムの魅力に目を向けたいと思うようになっています。
洗足学園音楽大学の客員教授としてこれからも定期的に来日されるとのこと。デイヴィッドさんの美しい響きをまた聴けるのが楽しみです。
※日本語版ウィキペディアに作曲家のジョン・ゴーランドがチャイルズ氏の祖父と書かれているのは間違い。
※ チャイルズ氏が使用している楽器の紹介ページは以下をご覧ください。
〈ベッソン〉ユーフォニアム新製品”ソヴリン BE969”
〈ベッソン〉ユーフォニアム”プレスティージュ BE2052“