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三浦徹&林子祥-日台ユーフォニアム対談

日本でユーフォニアムを広め、演奏水準の向上に多大な貢献をされている三浦徹氏。台湾でユーフォニアムを広める活動に取り組みながら、新世代の奏者達を牽引する林子祥(リン・ツーシャン)氏。〈BESSON〉の楽器を愛用されるお二人に、日本と台湾におけるユーフォニアムの発展についてお話を伺いました。(取材:今泉晃一)


2017年に「台湾テューバ&ユーフォニアムフェスティバル」を初開催

  まずはリンさんにお伺いしたいと思います。どのようにユーフォニアムを始めたのでしょうか。

リン(敬称略) まず10歳のときにヴァイオリンを習い始めました。ユーフォニアムは12歳のとき、中学校の吹奏楽部で吹き始めました。結局中学生の間は吹奏楽でユーフォニアムを吹き、同時に弦楽オーケストラでヴァイオリンを弾いていたので、とても忙しかったです(笑)。
中学3年生のときに、ユーフォニアムで出たコンクールで大きな賞をいただいたのをきっかけに、「ヴァイオリンよりもユーフォニアムをやっていきたい」と思いました。高校は吹奏楽しかないところだったので、ユーフォニアムに専念し、大学でも音楽を続けようと決めました。
ただその頃は、台湾ではまだユーフォニアムという楽器はあまり知られていなくて、「バリトン」とひとくくりにされていました。ユーフォニアムの先生もあまりいなかったので、最初はテューバの段富軒(トゥアン・フーシェン)先生に習いました。

  大学を卒業されてからイギリスに留学されていますね。

リン 大学生のときに、台湾でゴールデンヒム・ブラスバンド(Golden Hymn Brass Band)というブリティッシュスタイルのブラスバンドに入って演奏していました。そこでユーフォニアムがイギリスで盛んだということを知り、またイギリスの文化にも興味を持ちました。台湾ではブラスバンドは珍しい存在でしたが、DVDやYouTubeなどで本場のブラスバンドの素晴らしい演奏をたくさん聴いていたので、本場で経験してみたいと思いました。

林子祥氏

実際にイギリスではたくさんのブラスバンドが活動しており、そのうちの1つを学校の先生に紹介してもらって、留学中はそこで演奏することができました。オーディションもありましたが、ブラインド審査ではなく、一度演奏会に参加して、団員全員が承認するという形でした。
一番驚いたのは、イギリスのブラスバンドの音が想像したよりもずっと大きいことでした。しかも、すごくいい音でね。バーミンガム音楽院で初めてレッスンを受けたときには、「あなたの音は聴こえないなあ。もっと大きく、遠くまで飛ぶ音で」と言われたことを覚えています。

  台湾に戻ってからは、どんな活動をされてきたのですか。

リン ソロやユーフォニアム・テューバアンサンブルなどを通して、ユーフォニアムという楽器をもっと広く知ってもらうような活動に力を入れてきました。今取り組んでいるのは、三浦先生のユーフォニアム・カムパニーのような、ユーフォニアムのみによるアンサンブルです。ただ、台湾では前例がないためにわからないことも多く、レパートリーについて日本人の先生に尋ねたり、日本のイベントに参加して情報を仕入れたりしていました。
2017年には日本の「ユーフォニアム&テューバフェスティバルin名古屋」というイベントに参加し、それを参考にして、2017年に小規模ながら私が中心となって「台湾テューバ&ユーフォニアムフェスティバル」を初めて開催しました。台湾ではそれぞれの地域にいるユーフォニアム奏者がお互いに接点を持つ機会が少なかったので、集まって情報交換できる場があったらいいなと思ったからです。そして、一丸となってユーフォニアムという楽器を盛り上げたいと思いました。
2018年には作曲家のエリック・イウェイゼンなども招き、規模を拡大して第2回を行ないました。その後はコロナ禍により途切れてしまいましたが、今年は何とかして第3回を開催したいと考えています。前回まではテューバと共同でしたが、次はできればユーフォニアムだけで開催したいと思っています。


「作品」「楽器」「人」の3つの要素が大事

  国内でユーフォニアムがそれほど知られていないときに、自ら外国に勉強に行き、帰国してユーフォニアムの啓蒙に努めたというのは、三浦さんとも似ているところがありますね。

三浦 時代はずいぶん違いますけれどね(笑) 。今年、アメリカのアリゾナで、インターナショナル・テューバ・ユーフォニアム・カンファレンス(ITEC)の50回記念大会が開かれ、ブライアン・ボーマン、ダニエル・ペラントーニ等とパネルディスカッションを行ないます。50年前は「*T.U.B.Aシンポジアム・ワークショップ」というものでしたが、その第1回の催しに、私も参加していたのです。(*Tubist Universal Brotherhood Association国際テューバ/ユーフォニアム協会)
当時、日本では、ユーフォニアムやテューバのアンサンブルはありませんでした。楽器も、ベッソンしか手に入るものはありませんでした。それから50年が経ち、日本には、約15,000の吹奏楽団がありますが、それでもユーフォニアムはトランペットやフルート、クラリネットなどと比べると少数派です。なぜなら、オーケストラに席のない、吹奏楽や金管バンドでも通常2本程度の少数派だからです。

三浦徹氏

  ではどうすれば、ユーフォニアムという楽器をもっと盛んにできるのでしょうか。

三浦 そのために私は、大事な要素が3つあると思っています。「作品」、「楽器」、そして、「人」、つまり奏者です。

「楽器」はかなり改良されてきました。例えばチューニング・スライドのトリガーは約40年前、日本のアイディアで実現しました。最初は、東京の楽器店ダクさんに「チューニングをスライド式に操作できるような仕掛けができないだろうか」と相談しました。楽器店の技術者の工夫で作られたのがトリガーです。そうやって個人レヴェルで工夫していたものを、ベッソンが製品として採用したのです。
また、ベッソンのマウスパイプのテーパーには、スティーヴン・ミードさんのアイディアが入っています。もちろん外囿祥一郎さんの3番管をフラットにして持ちやすくしたりという、われわれ奏者たちのアイディアが、今のベッソンの楽器には生かされているのです。さらにベッソンの楽器作りは、ビュッフェ・クランポン グループに加わり大幅に改善されました。製品のクオリティも均質化され、ムラがなくなりました。

「作品」については、私自身も日本の作曲家に委嘱して、これまで15曲のユーフォニアム・ソロの作品を書いて頂きました。さらに、アンサンブルのレパートリーを増やすことに努めてきました。以前は、ユーフォニアム・テューバ・アンサンブルのための作品は、ほぼ皆無でしたからね。

リン 台湾にはオリジナルのアンサンブル作品はほぼありません。だから、今私たちは日本からたくさんの楽譜を買っています。

三浦 作曲家に委嘱するだけでなく、それを出版することが大事です。そして、それをCDに録音すること。今ではYouTubeもありますね。委嘱+出版+録音(録画)です。もちろんLiveのコンサートでの演奏が一番です

リン 私は、去年フィリップ・スパークにソロ曲を委嘱しました。《プルチネルラ(Pulcinella)》という曲です。もとはユーフォニアム・ソロと吹奏楽のための曲ですが、ピアノ伴奏の楽譜も出版されています。時間は6~7分くらいと長すぎないように、また高すぎる音が出てこないようにお願いして、多くの人が吹けるような曲にしました。メロディもとても美しいので、ユーフォニアムをよく知らない人にも親しめるはずです。

三浦 それは素晴らしいですね。親しみやすい曲を演奏して、多くの人にユーフォニアムを知ってもらうことが大切だと思います。台湾ではバンド・フェスティバルのようなイベントが非常に盛んに行なわれていますので、そこでリンさんが親しみやすい曲を演奏すれば、みんなが、ユーフォニアムの魅力を知ることができるでしょう。ものすごくテクニカルな難曲を演奏すれば聴く人を驚かすことができるかもしれませんが、みんながその曲を理解できるわけではありませんからね。大事なのは、ユーフォニアムを好きになってもらう事です!
私も昔、《フニクリ・フニクラ》ばかり吹いていた時期があって、「ミスター・ナポリ」などと呼ばれていました(笑)。1979年に初めて台湾を訪れたときにも、葉樹涵(イェー・シューハン)先生の前で《フニクリ・フニクラ》を吹いたものでした。そうやって有名な曲と結び付けることで、多くの人がユーフォニアムという楽器を知ってくれたのです。同じように、リンさんも台湾で「ユーフォニアムと言えば林子祥」というような存在になってほしいと思います。

写真左から、三浦徹氏、林子祥氏

「ユーフォニアム」という名前自体、日本で定着したのはここ40年くらいです。それ以前は「小バス」「バリトン」あるいは「ユーホニューム」などと呼ばれていました。私は終始「ユーフォニアム」(注:「フォ」にアクセント)と言い続けてきました。NHKに出演したときには、「ユーホニューム」ではなく、「ユーフォニアム」と言ってほしいと、3回も交渉しましたから。(笑)

ところで台湾ではユーフォニアムは漢字でどう書くのですか。

リン 「上低音號」です。「號」は「ホーン」の意味ですね。でも「優風號」という表記も見たことがあります。こちらは発音も英語に近いです。

三浦 「優風號」はいいですね。そちらの方がより親しみやすいのでは?


ユーフォニアムが生まれる前の時代の音楽を知ることも必要

  大事な要素の3つめが「人」とのことですが。

三浦 それが、実は一番難しいのです。私の友人である葉樹涵(イェー・シューハン)は「台湾ではいい音楽家を見つけるのが難しい」と言っています。日本でも同じです。いいユーフォニアム奏者を見つけるのは難しいのです。
なぜなら、トランペットやフルート等と比べてユーフォニアムはとても小さな市場しかないために、ユーフォニアム奏者になろうという強いモチベーションを持つことが難しいからです。演奏する場も少ないし、リサイタルを開いても、トランペットのセルゲイ・ナカリャコフやアレン・ヴィズッティのような人たちのように客席を満員にすることは難しいですから。

  リンさんはいま大学で教えているということですが、後進を育てるにあたってどのような点を重視していますか。

リン 自分自身がイギリスで見て、聞いたことを、全部学生に伝えるように心がけています。また、以前は台湾にはユーフォニアムのための曲が少なかったので、トロンボーンやテューバの曲をレッスンで使っていましたが、今は日本で出版されている楽譜も多いので、学生にはユーフォニアムのために書かれた曲をたくさん吹かせるようにしています。ユーフォニアムは比較的歴史が浅い楽器ですから、楽器が生まれる以前の古典派やバロックの音楽を聴いたり、吹いたりして知っておいてほしいとも思います。学校のシステムとしても、試験では3つの異なる時代の曲を演奏しなければなりません。

林子祥氏

三浦 私も、それはとても大事なことだと思います。台湾にとっても日本にとっても、西洋音楽は新しく入って来た文化です。人々は見様見真似で楽器を学び、ヨーロッパに留学したものです。そこで初めて自分たちの演奏法が正しいものではないと知らされたのです。なぜなら、「メソッド」(教本) がなかったからです。私の学生時代、1970年頃は、金管楽器には正しい奏法で演奏できる、指導できる先生はいませんでした。フルートやクラリネットは、すでにフランスやドイツなどで勉強してきた先生がおられ、彼らが本場のメソッドを持ち帰って来られたのです。つまり、筋道の立った指導法を学んで来られたのです。

ユーフォニアムにとってレパートリーは大事ですが、それと同じくらいメソッド(教本)は大事なのです。ではクラシック音楽の一番のメソッドとは何かというと、バロックや古典の音楽を演奏すること。日本のユーフォニアムのコンクールでは、J.S.バッハやテレマン等が課題曲に含まれます。ユーフォニアムのレパートリーはどうしても近・現代に偏ってしまいますので、私たちは古い時代の音楽を学ぶ必要があるのです。そこには、ハーモニーやフレーズなど、音楽に必要な基本的な様式が含まれているからです。

もうひとつ必要なものは、「ユーフォニアム奏者になりたい」という強いモチベーションです。先ほどもお話ししたように、卒業後にプロとして演奏する機会がユーフォニアム奏者には限られています。吹奏楽団の指導者になるということも、選択肢として極めて重要な事です。

リン 台湾でも指導者になる人はもちろん多いですが、軍の吹奏楽団に入るという選択肢も職業として重要なものです。しかし、音大に進む人の中には、将来演奏する仕事に就きたいというよりも、純粋に音楽が好きだからという学生もいます。ですから入学したときに卒業後にどういうことをしたいのかを尋ねるようにしています。演奏家になりたいという学生は、イギリスや日本に留学する人も多いですね。

  ところで、台湾以外のアジアの吹奏楽事情というのはどうなっているのでしょうか。

三浦 昨日、シンガポールの友人と話しましたが、バンドの活動としてシンガポールは順調で、バンドの先生は経済的にも優遇されています。香港も似たような状況です。香港の場合、政情が不安定な面がありますが、音楽活動としては順調です。
でも共通して不足しているのが、楽器のスペシャリストです。人数の多い楽器はそれぞれの国のオーケストラに所属している奏者などでカバーできますが、ユーフォニアムのスペシャリストはやはり少ない。リンさんは中国語と英語を話すのですから、シンガポールとか香港、マカオはじめ東南アジアの国々に行って指導をしたり、マスタークラスを開いたりするいいチャンスだと思いますよ。

三浦徹氏

リン 実際に、各国の友人たちと一緒に何かやりたいという話になったこともありましたが、今のところコロナ禍で不可能なのが実情です。


〈ベッソン〉は「色」が明瞭で、「存在感」のある音を持っている

  さて、お二人とも〈ベッソン〉の“プレスティージュ”をお使いですが、どうしてベッソンなのでしょうか。

リン 私の場合、最初に持った楽器が〈ベッソン〉でした。他の楽器を使ったこともありましたが、やはり〈ベッソン〉に戻りましたね。〈ベッソン〉の音や歴史というものは、何物にも代えがたいと思います。何より、〈ベッソン〉の楽器は持ったときにしっくりくるんです。立奏でも、座奏でも、体にぴったりと合う楽器です。
それから、三浦先生もおっしゃったように、トリガーの採用など絶えずイノベーションを行なっているところも魅力ですね。実際、台湾ではベッソンを使っている人の割合はかなり多いです。自分自身、いろいろな楽器を使った経験があるから余計に、生徒たちには〈ベッソン〉をお薦めしています。

林子祥氏の“PRESTIGE”。〈BESSON〉のロゴの下に自身の名前から「祥」の字をレーザーで刻印した。

三浦 〈ベッソン〉はどの時代にあっても、明瞭な「色(color)」と「存在感(existence)」のある音を持っているんですね。私は東京佼成ウインド・オーケストラで30年吹いていましたので、バンドの中で存在感のある美しい音色と表現の出来る楽器だということがよくわかっています。
ユーフォニアムはバンドの中で様々な色に変化しますが、反面、存在感を出すのが難しい楽器とされてきました。それは演奏法によってクリアできるのですが、楽器が進歩するに従って、より表現しやすくなっているわけです。もちろんアンサンブルの中で響き合うということも重要な要素ですが、存在感、色が出せるという意味において、〈ベッソン〉はどのモデルでもしっかりとした独自性を持っているのです。

リン ピストンなどの精度が高いところも〈ベッソン〉の魅力です。今回は、日本に来る前にドイツのマルクノイキルヒェンにある〈ベッソン〉の工場にも立ち寄りました。そこにはスティーヴン・ミードさんが連れて行ってくれました。工場では検査をかなり厳しくやっていて、合格しないものはもう一度やり直していたのが印象的でした。


写真上から、林子祥氏、三浦徹氏

三浦 私は、日本で最初に〈ベッソン〉の楽器を個人所有した人間です。現在はドイツで作られていますが、もともと〈ベッソン〉というブランドはイギリス生まれのものです。エリザベス女王が亡くなられた際、様々なセレモニーが行われましたが、そこで聞こえて来る英国のブラスの響きは、正にベッソンそのものなのです。実際に彼らが何の楽器を使っていたのか分かりませんが、でもあれこそがわれわれが〈ベッソン〉に対して持っているイメージなんです。演奏する人の頭の中にそのイメージがあるからこそ時代が変わっても、楽器が新しくなっても、奏者はそのイメージを描いて演奏するものです。楽器は道具であると同時にブランド・イメージが大切です。

少し抽象的な話になってしまいましたが、楽器がどんどん進化しても、製造する国が変わっても、〈ベッソン〉がユーフォニアム作りの長い伝統と歴史を持って多くの人々に愛され続けて来た楽器であることは変わりません。それが〈ベッソン〉独自の音色を持ち続けているという事なのでしょう。それこそが一番の強みだと思いますね。

三浦徹氏

  最後に一言お願いします。

リン 今回はかないませんでしたが、いつか日本でも演奏したりマスタークラスを行なったりして、音楽をみなさんとシェアしたいと思っています。

三浦 私たちは幸運にもユーフォニアム奏者です。ユーフォニアムの世界はとても小さいから、世界中のユーフォニアム奏者は皆よき友人、仲間と言っていい。ただの友人ではなく、互いに競い合ってより良い音楽を作るライバルでもあります。そうやってユーフォニアムの魅力をもっともっと多くの人に知ってもらえるといいですね。

加油林子祥老師!頑張れ台湾 優風號ユーフォニアム!

  ありがとうございました。

写真左から、三浦徹氏、林子祥氏

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